公益財団法人函館域産業振興財団
北海道立工業技術センター
青木 央
大学の研究室でHPLCなるものをはじめてみたのは1984年のM1のころでした。LKBというメーカの紺色の基調色のボディーで、結構高価な機械らしいというので、先輩が使っていましたが、私はむしろ超遠心機で仕事をしているという日々でした。筋タンパク質の分析をしていました。このころでしょうか、ファルマシアがLKBを傘下にいれたのは。
1986年の10月は、私が今の職場に就職したときです。北海道の函館には当時、テクノポリス法と略称されるハイテクで地域振興を看板に掲げる通商産業省(現経済産業省)が主導する政策があり、北海道立工業技術センターが新設開所されたのです。研究員として、社会人としてスタートしました。当時の函館はまだ、青函トンネルの工事中でした。「はぁーるばる来たぜ函館・・」と北島三郎が、そして、「津軽海峡ふーゆげーしきー」と石川さゆりが歌う世界があったのです。函館は日本の先端地域になるのだと、それから30余年、北海道新幹線は開業、函館市の市民体育文化施設のこけら落としは、函館出身の人気歌手・ロックグループGLAYがマイクを握りました。
さて、HPLCの世界はというと、私自身は、着任時に新装備品だった東ソーCCPD-8000シリーズをまだ愛用しています。メーカのアウトオブサポート対象で、絶滅種ですが、これが利用されるのは4.6mmφ×250mmのカラムで、毎分1mlの流量という分析条件をプロトコルに採用する分析法がかなりたくさん現役であるからです。私の場合、食品添加物、栄養成分、機能性成分、衛生試験法に記載のある各種試験などが守備範囲になり、検出器を変え、チャート紙にピークを打ち出し、最小2乗法で検量線を引いて分析値を求める。古いとは言え、A,B,Cの3液グラジエントができ、カラムオーブンもあり、窒素ガス加圧で安定した分析が可能です。ただし、サンプルはマニュアル打ちです。いわゆるコンポーネント方式なので、分析対象によりシステム変更が柔軟というメリットを追求した結果で、単発での分析が多い試験研究機関の特殊事情によると思われます。製造業務の品質管理などとは別の使い方の典型ではないかと思っています。そのようなことでずいぶんHPLCを勉強することになりました。プランジャシールの交換以外に、ポンプ自身のオーバーホールみたいなこともやりました。その他には、日立のアミノ酸自動分析計、東京理化のカルボン酸分析計、アジレントのLC-MS、東ソーのイオンクロマトグラフといった専用機も使って分析の仕事をしました。結局、このような経験が分析士の受験に反映されたと思っています。
認証制度がはじまって、第1回目の初段、翌年の第1回目の二段と順調でしたが、翌々年の三段は、受験をためらいました。その理由は二段の試験の問題が初段の問題と比較して急に難しく思えたからです。初段はとにかくHPLCというものを見たことがない人は合格することがないと思いますが、二段は初段と比較して2の2乗の4倍難しいという印象です。それならば三段だと2の3乗の8倍になるのではと考えたからです。三段分析士問題集第1集が出版されたので受験準備をしましたが、途方にくれました。実際、受験をしてみると警戒していたJISが出題されました。皆さんは日本工業規格の全巻をみたことがあるでしょうか。うちは工業技術センターなのでほぼ全巻があるのですが、高さ2.7mの6段書棚の幅3.6mと対面の幅1.8mにびっちりで、下から1段目と2段目に並ぶKの化学をみる姿勢をとると、先頭巻は視野の外になります。実はこの先頭巻が問題だったのです。函館に戻って正解できなかったことが判ったのです。合格はしたものの、選択問題でしかもJISなので職務上、正解したいところなので悔やまれますが、分析士は視野を広くもつことも必要との出題意図が身に浸みました。
さて、話はもどって函館を日本の先端地域にとは何のことだったのでしょう。当初、高度技術の研究開発で農水産加工業などの従来の産業構造から脱却し、新しいハイテク産業を興して、足腰の強い地域経済圏を創造するということであったはずでした。しかし、今となってしまっては、皮肉にも高齢化率のことだったのかと説明されるような状況にあります。工業技術センターができたころから、すでに、高齢化率が日本の平均を上回り、これからのくるべき日本の姿を先取りしていると揶揄されていたのですが、ついにこの状況を今もって跳ね除けることはできませんでした。
私見を述べると、分析という言葉は数学的に言うとn次元のマトリックスからn個の固有ベクトルを見つけることと同義ではないかと思っています。本会の分析士は、化学分析の専門領域に関する認証の意味合いを持つものですが、この分析士に備わる資質は、単なる技能資格ではなく、より幅広い視点で応用の場が広がるように成長することが期待できるライトスタッフではないかと思います。個人の人生設計からこれから来るべき社会の群像の分析にも役立つ資質と思います。さらにまた、私としては個人の努力ではとても太刀打ちできない大きな社会動態も結局はひとりひとりの固有ベクトルにより構成されるとの立場に立ち、この分析士がもつ資質を生かした社会貢献ができるような活動や環境整備の一端を担うことができたらいいなと思っています。
(2019年3月28日記)
プロフィール
青木 央 Aoki Hiroshi LC分析士三段
略歴
1986年3月大阪大学大学院基礎工学研究科前期課程修了,同年10月同大学院同研究科後期課程中途退学、財団法人テクノポリス函館技術振興協会北海道立工業技術センターバイオテクノロジー科研究員。2015年4月 公益財団法人函館地域産業振興財団工業技術センター食産業技術支援グループ主任研究員。現在に至るが、最近の業務は異物検査の技術相談で地域食品メーカの課題解決を支援することが多い。
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